The First State からの贈り物

The First Stateのデラウェア州から南部に属するテネシー州に引っ越しました。北東部とはまた違ったアメリカの姿、ニュースを盛りだくさんにお知らせします。
<< August 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
PROFILE
RECENT COMMENT
     
MAIL
     メールをこちらまでどうぞ      個人的なご質問などありますときにはこちらへどうぞ。

アドレスは know_usa@yahoo.co.jp です。

私のブログとあまりに関係ない内容のものは独自の判断で削除させていただきます。
           
RECENT TRACKBACK
カウンター
counter ブログパーツUL5
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | | - | -
Martin Luther King Jr. Day
キング牧師の誕生日に近い1月の第3月曜日をMartin Luther King Jr. Day として彼の功績をたたえると同時に、アメリカ、いえ世界各国でまだ続いている人種差別をなくすことについて改めて考えようという設定されています。

‘ I have a dream that one day little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers. I have a dream today’

これは1963年にワシントンでキング牧師が行った有名なスピーチです。黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟のように手をつなげる日が来るという夢を持っている、というスピーチです。

1963年という年号(?)に驚かれませんか? アメリカという言葉を聞いて何を想像されますか? 自由の女神? ニューヨーク? イラク戦争? それとも自由? プロ野球? とっても先進国で民主主義、そして自由な国というイメージを今のところまだ何とか保っているアメリカだと思うのですが、肌の色で人々を差別するのは違法だという憲法が議会を通過したのが1964年。今からほんの40年数年前なのですよね。改めてこの国の新しさを感じます。

キング牧師は黒人も白人も同じ人間であるというスタンスでした。しかし今、世界中は肌の色だけでなく宗教、人種、経済的なレベルでの差別が少なくなるどころかますますひどくなっています。イラクのフセイン氏が率いたスンニ族は少数民族でありながら他の民族に比べて優秀であるという信念のともにいまだに他の人達と戦っていますし、同じようなことがアフリカでも起きていますよね。

アメリカでは肌の色に違いだけではなくて今度は貧困層と裕福層との差別も著しく見られます。持っている人と持っていない人との間に歴然とした溝ができていて議会をはじめとして誰も真剣にそれを埋めようとはしていません。

それではなぜいったいこのような差別が起きるのか… 人間は常に誰かに対して優越感を感じていたいからなのでしょうか? たとえそれが根拠のない優越感であっても。白人優越主義者の人達のインタビューを聞いていると当たり前のことですがなぜ彼らが他の人種に対してあのような優越感を感じることができるのか理解できる返事は聞こえてきません。

そしてそういう両親に育てられた子供たちの多くは盲目的にそれを信じて育っていきます。

それでは同じような環境で生活している人達の間には差別はないかというとそうでもなさそうです。出身大学、勤め先。子供の学校、成績。収入、家の大きさ、言い出したらきりがありません。いっしょうけんめい勉強してというプロセスはもちろん自慢できることでしょうが、だからといってそれをお隣の人と比べてどちらが偉いといえるレベルのものかというとそれは違う。収入が多いぶん豊かな生活ができるとしてもそれはそれで嬉しいことだとしてもだからご近所よりも自分たちが上かというとそうではないのですよね。

その辺を何か勘違いしている人が多いような気がしてなりません。大きな車に乗っているとなんだかほかの人よりも偉いような気がしてうしろから押してみたり、上から見下ろして何かを言ったり… いったい何を考えているのかしらと思いますよ。

自分と人を比べないと生きていけない人たちはこうして考えると気の毒。気の毒どころか比較することで自分の優越感を人に押し付けて、さらに重圧しようとするのはもっての外。

このMartin Luther King Jr. dayが他の国の休日だから関係ないと思うのではなくて誰もの心の中にある差別の心を考える一日にすることは大切なのではないでしょうか。

Please click!
TOEICを受けてきました。
どんなものなのか一度受けてみようと思っていたTOEICを今日、受けてきました。受験者は20人くらいかな、日本人が一番多かったようです。それから韓国の人、あとはインドの人、ポーランドの人そしてブラジルだったかな。エアコンがぶんぶんまわってキンキンに冷えた教室での受験でした。

エアコンはあまりにうるさいのでリッスニングのテストの間はスイッチを切り、途中で受験者が「暑い」といえばインストラクターがスイッチを入れ、また別の人が「寒い」といえばスイッチを切るといったなんだか落ち着かない中でのテストでした。外はとても蒸し暑くテストが終わる頃から雷がごろごろ、稲光がしていましたし。

問題はあまり難しいとは思いませんでしたが、リッスニングの終わりのほうの問題が非常にトリッキーなのが気になりました。それを聞き分ける力があるかどうかをテストするためなのでしょうが、実際に会話をしていたら聞き逃したら聞き返せばいいし、聞き返す「話す力」をテストすることなくあれだけのリッスニングで偏らないのか気になりました。

受けていらっしゃる方も多いでしょうから、詳しいことは書きませんが、どうもあまり英語を聞く力がない人、ちゃんと聞いていない人を引っ掛けるような問題が多かったように思いました。最初から最後まで集中して聞かないと、途中で「〜だけど」と打ち消してさらに新しい情報を与えられている問題、また呼びかけでしか名前が出てこないのに話が終わってみたら名前が答えになる場合など、うーん、気に食わないなと思いながら受けていたら、途中で集中力が切れてちゃんと聞かなかった問題が2つもありました。あはは、間違えたに違いありません。ちょっとでもボーっとしたら聞き逃してしまいますものね。

子供たちの小学校入試問題を思い出しました。記憶の問題。年代が高い受験者にとっては記憶力と集中力でのハンディキャップがほしいです。

そう、それから最初に写真を見て答える問題。全然難しくないのに、写真を説明する文章が4つ読まれて正しい説明を1つ選ぶ問題で「アヒルが水際にいる」という文章が流れてきたのでつい、わかりにくい写真を凝視しながらアヒルを探してしまいました。もしかしたら私がきちんと見ていないのかしら、と思って。そうしたら次に正しい答えが出てきたので、関係ないアヒルを探していた自分がむなしく(?)なりました。なんだか「ウォリーを探せ」をやっていたみたい。

正しい文法も必要だけれど、もう少し読む力と、言い回しへと範囲を広げたほうがよいようにも思いました。あのリッスニングの細かさはアメリカ人に受けさせてみたらおもしろいと思います。もちろん聞く力はあるけれど、ちゃんと集中して人の話を聞く人、あまりいませんからね。「あれっ」と聞き逃す人、少なくないんじゃないかな。

あのテストの結果が就職を左右するとなると、テストの重さというかプレッシャーを感じて普段ならできる問題も間違えてしまったりするでしょう。語学がどれだけできるかを点数で出すことは難しいし、何ができて何ができないかを見極めるのも簡単なことではないですが、何か尺度がないと採用する側も困ります。しかしそのためのテストというには偏りすぎて、あまり実務的ではないかな… というのが私個人の印象でした。2週間後にスコアが送られてくるそうです。ちょっと楽しみです。

Please click!
語学のfluency
知り合いのお嬢さんが2ヶ月間、日本語の勉強を兼ねて日本に行きます。アイビーリーグの大学でInternal Relationsと日本語のダブルメジャーなのでとても楽しみにしているそうです。

日本から来ている留学生と知り合って、自分は日本語を学びながら相手に英語を教えてきているので日本語はとても上手に話せるとお母さんは話してくれました。

中国語を勉強している人は多いのに比べて、日本語を勉強しようとする人の数は減少しているように思えます。中国の人口が多いこと、これからアメリカと中国がどのような方法であれ親しい関係を続けていくだろうと予測されることが理由として考えられます。

そんなときにまだ日本語を勉強している人を見つけると嬉しくなります。(もちろん全然いなくなっているわけではありませんよ。少なくなっているというだけのことです)

お母さんは一言「My daughter is fluent in Japanese.」と言っていました。そのとき、私はもう1人別のお嬢さんを思い浮かべました。彼女は中国語が専攻。プリンストン大学を今年卒業しました。中国語も難しいのでしょうが、日本語だってアメリカ人にとったら決して簡単ではないと思います。と言うのは、中国語が専攻の彼女は非常に頭もよく語学のセンスもある学生だったのですが、彼女の口からも、彼女の母親からも一度として fluentに話せるという言葉は出てきたことがないからです。

こちらのお嬢さんは高校のときにスペイン語を勉強して全国のテストで(SATではありません)6位になった学生です。勉強に対する姿勢は非常に熱心で常にクラスのトップにいた学生なのに、いつも中国語は難しい。ついていくのが大変。まわりの学生はとてもよくできると言う言葉ばかり聞いていました。「そんなことないでしょう?」と言うと、彼女は目をむかんばかりにどれだけ中国語の勉強が大変かを説明してくれたものでした。でも、きっと彼女の中国語の力は素晴らしいものだろうと想像できます。去年、中国に語学研修を兼ねて2ヶ月間行っていますし。

fluentと言うのは人によって定義がまったく異なるもの。別にこれから日本へ行くお嬢さんの日本語がfluentではないといっているのではありません。

ここに住んでいて「英語が話せていいですね」とよく言われます。しかしアメリカ人と一緒にいて自分の英語はまだまだ、力が足りないと思うことばかりです。でも、それを口に出しては言いません。どの程度の英語力なのかって、テストではかれる部分はあるけれどそれ以上に計り知れない部分のほうが大きいから人と比べるものではないと思うし。それに自分が考えているレベルと人から見たレベルもまた違いますしね。

でも、「fluentに話せるのよ」と言える自信を持つことは大切です。自慢することと自信を持つことは別物ですから。自信がつけばもっとがんばろうと言う気持ちにもなれるでしょう。それと目的意識でしょうね。何のためにその語学の勉強をしているのかという。TOEICでよい点数がとりたいために勉強しているのか、それとも仕事で必要だからなのか… それによって自分がなりたいfluentのレベルが変わりますよ。

Please click!
英語熱に思うこと
アメリカに住んでいるからといって英語が自然に上手になるわけではありません。住んでいれば語学が上達するという錯覚を持っている人たちが多いので…

まわりがアメリカ人ですから惜しみない努力をすればもちろん日本に住んでいるよりは英語の上達が早くなります。理屈っぽくなりますがあくまでも個人の努力次第。そしてその人のまわりの英語のレベルにもよって大きな差が出ます。

人によって使う単語、言い回しがこれほど異なるのかと驚かされます。住んでいた地域、もしくは国、年齢、学歴、性別により差が見られます。どれが良いというよりも自分が心地よく感じる英語を学んでいくにはもってこいの環境です。

会社員として転勤の人たち、学生たちは専門に関して話すことはどんどん上達していくでしょう。留学の高校生たちは学校で毎日話される言葉は上手になるでしょう。奥様たちは子育て関係、人とのお付き合いの言葉がうまくなります。あとはそこからどれだけ幅を広げていくかだけ。

日本の英語熱に関してはもう何度も記事にしているのであまり触れませんが、「英語の上達」=「学校」「塾」という等式に頼りすぎることの怖さを感じます。

アメリカに移住してきている人たちの多くは英語が話せません。語学のため、技術がないため、本国では医師であってもライセンスが貧乏なためにアメリカでの医師のライセンスが取れないために最低賃金の職につくしかない人たちは子供たちに英語を学ばせようとします。その気持ちは日本で子供に英語を学ばせたいと思う親たちと同じ。

何が違うかというと、アメリカで生活している人たちの多くは子供たちに自分の国の言葉、文化、習慣を大切に教えていること。そして彼らが英語ができずに苦労している姿を子供たちが毎日目にしていることです。親が英語を勉強する姿も見ることができます。

それに比べて子供の英語熱に走る日本人の親たちは、日本人であることをちゃんと教えることなく、英語ができればよいという短絡的な発想が見受けられます。子供に「英語ができると将来役に立つから」「英語くらい話せないと」とどれだけ言ったところで子供には実感がありません。それに親たちの言葉以外で何かを示しているのでしょうか?

日本にいるのだから仕方がないというのは言い訳だと思います。子供たちにそれだけ英語の勉強をさせたいのであれば、自分でも英語を勉強している姿勢を見せること。他に仕事があるのであればもちろんそれを。「学校」「塾」という出来上がりの施設に頼ることで本来ならば親の仕事を第3者に任せている部分が気になります。親だってできてよいことを人に任せているとしか思えない…

親が子供の英語熱に走るうちに、子供たちが英語が話せない親を馬鹿にする風潮が見られることが心配です。それだけ親にコンプレックスがあることを子供たちは鋭いですからねすぐに見抜きます。親もがんばっているという姿を見せることで子供の心にも尊敬感、親近感を感じさせていくことも教育の1つ。やる気が起こさせる1つの要因になるかもしれません。

しんどいけれど、英語を勉強することは簡単なことではありません。子供のほうが順応性があるといったって遊びたい年齢ですし、精神年齢はもちろん子供です。親のメンタリティーを子供に押し付けてもわかりっこないでしょう…

Please click!
小学校で英語を必修化?それより…
日本のオンラインニュースで読みました。小学校で英語を必修化する方向に進んでいるとか。小学校5,6年で平均週1回の英語の授業を導入するが、教科として設定するかどうかはまだ検討中だそうですね。

今でも小学校の96%が歌、ゲームをおりこんだ英語活動の授業をしていると言いますからあまりこれといった変化はないのでは?と思ったりもしました。

国際コミュニケーション能力養成」の一環としての今回の決定だそうですが、いったいどうなのでしょうね。それでなくても忙しいこのごろの子供たち。これ以上忙しくして虻蜂取らずにはならないのかしら? 英語が話せることは国際人として巣立っていくためには必要条件です。しかしそれだけでは十分ではありません。

日本人としてのプライド、自覚、また日本の歴史、文化についての知識があってこそ国際人になれるものと最近ではつくづく感じています。ただ英語が話せるだけではアメリカ人と変わりません。ネイティブの彼らと語学で争って何になるのでしょう? アメリカ人が持っていなくて私たちが持っている知識、文化、考え方、ひいては人との交流、問題解決能力などまったく異なるものを持つからこそ国際色が豊かになるもの。それが無かったら日本人の顔をしたアメリカ人になってしまいます。いえ、アメリカのことも何も知らなかったらアメリカ人にもなれません。

それよりも私が最近感じる、日本人(私も含めて)に欠けているもの

. 自分の意見をきちんと筋道立てて話せること

. 相手と異なる意見も理由を明らかにして話せること

. 異なる意見を持つ人がいるのは当然であること(わかっている気がしながらもつい人格を責められているような錯覚に陥る人が多いような気がします)

. 言葉にして表現しないとと相手はわからないと言う自覚。

. 個人として意見を持ち、自分の行動に責任が持てること(群れないでね)

自分たちが何を考えているのかをはっきり述べられないようでは国際社会で戦っていくことはできません。英語はそういう場で使える道具の一つ。それよりも「スピーチ」「ディベート」のような授業を小さいときから入れていくほうがこれから成長していく子供たちのためになるのではないでしょうか。

順序だてて物事を考え、理由付けをしながら結論を説明できるという、論理だった考えをする訓練ができていないと、公の場での発表、講演が苦手になります。アメリカ人はこの辺はとても上手です。話している内容はたいしたことでもないのに、話す態度、顔の表情などだけを見ているとまるでものすごい発明をしたかのような自信ありげな様子。これは日本人が学ばなくてはいけないところ。

とは言うものの、このようなことは学校ではなくても家でも学べることですけれどね。親がきちんと論理だった話し方を子供にしていれば自然に子供たちもそういう癖がついていきます。と、結局家庭での教育の大切さをいつも感じています。

皆様はどう思われますか?

Please click!
ボキャブラリー
友人と会話をしていて感じることがあります。その人特有というか好きな表現、言葉があるなということ。会話の内容にもよるので一概には言えませんが、言葉の幅というか普段使うボキャブラリーの違いがあってとても面白いと思います。

その人が受けてきた教育も影響しているのでしょうが、おそらくそれ以上に育った地域による差が大きいようです。これだけ大きい国ですから生まれ育った場所で表現がかなり異なるのでしょう。南部で育った人が使う表現を北の人たちが理解しなくても、その逆が起きてもきっとおかしくないでしょう。また理解はしてもそれを普段自分が使うかというとまた別の話になります。

それでは自分は、と自分の英語を振りかえると、本を読んだり人の話を聞いていてわかる単語でも自分の会話の中にはなかなか出てこない単語というのがたくさんあることに愕然とします。底辺にある単語はそこそこあるのに、普段の会話にそれを使いきれていないのです。洋服ダンスの引き出しのように、1番下の引き出しに見たことがあるけれどあまり意味と使い方がわかっていない単語が入っていて、その上にはだいたいわかっているのだけれど、間違った使い方をしてしまうかもしれないというまだあやふやな単語。その上には意味も使い方もわかる単語。そしてその上が、時々思い出しては会話の中にもちりばめられる言葉。最後の引き出しがどう使おうとも何の不自由もなく使える言葉。というようなしまい方がされているよう気がしました。

いかに下の引き出しの単語を上に持っていくかが課題です。もちろん会話をたくさんすることも大切ですが、その言葉の使い方になれることも必要なこと。一見同じような意味に見える単語も文章の内容によってこの言葉は使わないぞ、とか、なんかこの言葉だと落ち着かないなというときもあるのでその辺をもう少し調べることも大切です。

言葉を学ぶことは本当に難しいとつくづく感じています。どこまで上手になりたいのか、何を上達させたいのか、何が足りないのか、これらを計る物差しはどこにもありません。自分の満足のためかもしれませんね。


Please click!
アメリカに行きたい
夕飯を地鶏専門店で食べました。タイトルとは関係ありませんが焼き鳥、豆腐料理、親子どんぶりと絶品のおいしさでした。

それはともかく、主人が精算をするときにチラッとうちがアメリカに住んでいることをいうと、彼は
「いいですね。僕もぜひアメリカに行ってみたいんです。友人が何人か留学しているので僕もぜひ行ってみたいと思って。」と話してくれました。私はずうずうしくこのブログのアドレスを教えてよかったら遊びに来るようにといいました。彼が求めている情報とはもしかしたら異なるかもしれませんが、アメリカを知るにはいいかな、と思って。彼は工学部という話なので、自分のやりたいことがきちんとしていてその上で英語を勉強をしようという、ベストなパターンですね。

アメリカに限らず、英語を勉強をして留学をしたい、もしくはアメリカで働いてみたいという希望をよく聞きます。本屋さんに行っても語学のセクションには必ずといってよいほど人がいて一生懸命参考書、テストの練習本を探しています。どのような本が並んでいるのか知りたくてこのセクションには私もよく出かけます。あまりにも種類がたくさん出ているので本を買いに来ている人はおそらくなかなか決められずに大変な思いをするのではないでしょうか?似たような本が本当にいっぱい出版されていますね。いかにみなが英語を勉強したいのかがわかります。

そんなところで次から次へと本を読み替え悩んでいる人を見ると、つい
「何を勉強したいの?」
「あなたの英語のレベルはどれくらいだと思う?」
「集中して勉強したいのは、単語?文法?」と声をかけたくなります。今日も我慢をするのが大変でした。どの本にも持ち味はあるのですが、どこを強くしたいかによって合う本とそうではない本がありますから。たとえ文法が勉強したいからといっても文法の説明の仕方もまちまちなので選ぶのは決して簡単ではありません。その人にぴったりの本というのを選べないと、思ったような成果が出ない、面白くないなんてことになりかねません。

英語を勉強したい人、留学をしたい人、夢を持ってたくさん勉強してください。いったいどれくらい留学をしたいのかなんて他人はわかりません。説明する必要もないでしょう。でも自分の心の中ではいつもその夢がどれくらい強いのか、そしてそれをかなえるために自分はどれくらいほかのことを我慢、犠牲にすることができるのか。いつその夢をかなえさせたいのかをきちんと考えておいてくださいね。
「後で考えよう。」(私の得意技)
「英語が出来ないからあきらめたほうがいいかな」(勉強したら出来るようになりますか?どうでしょう?)
「どこで情報を得たらわからない。」(インターネットがありますよ。でもこれも情報が飽和状態ですからね。結構選択するのが大変。)
「いつか留学したい」(これは漠然としすぎていますから、結果をだすのはこれではつらいでしょう)

夢を夢で終わらせないように。ぜひがんばってくださいね。

Click here!

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.