The First State からの贈り物

The First Stateのデラウェア州から南部に属するテネシー州に引っ越しました。北東部とはまた違ったアメリカの姿、ニュースを盛りだくさんにお知らせします。
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考える暇もない?
これはおそらく世界どこでも見られる光景なのでしょうが、携帯電話、ブラックベリーを手から離せない人たちの姿が町中に蔓延しています。ハンズフリーで携帯を使っている人達も少なくないのですが、耳に何かをつけているのに気がつくまでは独り言をつぶやいている変な人に見えてしまいます。

先日友人のお嬢さんと一緒に大学を見てまわっていたときに、インフォメーションに座っていた人にオフィスの場所を聞きに行きました。私の質問に対して、あさってな返事をするので、注意してみたら彼女は長い髪の毛の下にヘッドセットをつけているではありませんか。そうです。彼女は私の質問に対してではなくて電話の相手に対して返事をしていたのです。昔のように受話器を耳に当てていれば彼女が電話中であることは一目瞭然なのですが、あのように小さなレセプターが耳についているだけでは気がつきません。

失礼をしたかしら、と一応あやまりましたが、もしかしたら失礼なのはあちら側なのかな。私たちが近づいていくのに対して何らかの動作で私たちに知らせてくれるのが礼儀ではないかしら、というのは勝手な要求ですか?

それにしてもあれだけ携帯を握り締めている姿を見るとおしゃぶりを加えている赤ちゃんを思い出してしまいます。自分たちはさぞ忙しくしていることが名誉と思っている人達、多いのでしょうが、あの姿は意外とこっけいだったりするんですよね。そんなに急に返事をしなくてはならないメールとかってどれだけあるのでしょう? 仕事の輪から外れるのが怖いという恐怖感、脅迫感から携帯を手から離せないってないのかな。

考える時間もなく返事をしたあとでしまったと思い、変更のメール、お誤りのメールを打つくらいなら少し考える時間を持ってからきちんとしてメールを打つ人のほうが個人的には好きです。そうでないと、「どうせまた、変更のメールを送ってくるだろうから」何もアクションを起こすのはやめておこうと思われるようになりますもの。

携帯電話でのテキストもそうですよね。メッセージが行ったり来たりしている若者たちを見ると、他にやることはないのかしら、よっぽど暇人なのかしらとかえって疑いたくなりますね。何かに集中して時間をとるという習慣も、きちんと考えるという習慣もなくなってしまいそう。

感情的、本能的に反応ができても思考が発達していかなかったらもしかしたら人間は動物に近づいていくということかしら? 「考える力」これは養っていってついていくもの。その辺でちょろっと拾って自分のものにできるような簡単なものではないから、小さいときから習慣づけていかなくてはいけないものなのに、現在の携帯電話の使用状態を見ているとそういうことを望むのはむずかしいかもしれない。でも、メールをチェックするのは1時間に1回とか、携帯から手を離すとか、自分の時間を大切にして何かに集中するということを自分で習慣づけないと将来、ほかの人との競争についていけなくなって後悔するのは自分。そう、なんでも結局自分に跳ね返ってくるんですよね。

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低賃金では働かない。
アメリカに限らず世界各国が直面している移民問題。その底辺に低賃金でもひたすら働く移民の人たちの「やる気」があります。メキシコをはじめとした中南米の人達はアメリカ人が嫌がる仕事でも進んで引き受けてきちんと仕事をするために雇用者たちから重宝されています。

それでは今までそういう仕事をしていたアメリカ人はいったいどこへ行ってしまったのか? アメリカ人だけじゃないですよね。おそらく日本人にも同じことがいえるのではないかしら? アメリカ人の若者たちの中にはそんな低賃金でそんな重労働はしたくない、という声が高らかに聞こえてきているのです。しかし必要とされている労働ですから誰かがしなくてはならない。そこでそこに移民労働者がパズルのピースのようにきちんとはまっていきます。

アメリカ経済がスムースに流れていくために必要な労働者たちなのだからあまりとやかく移民労働者たちのことをいえる立場に実はアメリカ人はいないのではないでしょうか?

それでは、逆に低賃金では働きたくない、というアメリカ人青年たちはいったい今どうしているのか? はっきりとした情報が今私の手元にはないのでなんともいえないのですが、まわりの人たちの意見を参考にすると、

「アメリカ人の若者の中には移民の人達がしている労働にその賃金でつく意欲もないし、かといってもっと高賃金につけるような実力もない人達がどんどん増加している。働く意欲がある移民の人たちよりもそういう若者が問題だ。」だそうです。

移民の人達は祖国の家族に送金をする、今までの生活よりもよりよいレベルの生活がアメリカなら楽しめるという彼らの労働意欲を駆り立てるものがあります。しかしアメリカ人の中には(日本人も実はここに含めたい)そこそこの生活をして親の家にいればこれといって今のところ困ることはないという若者が異常に多い。日本でいうフリーター、プーたろうがどんどん増えているのです。これには実は親たちもとても困っているというのが現状です。

いわゆるハングリー精神なるものが欠けている。しかしそういう子供たちを育ててしまったのは団塊の時代の親たちですから100%若者に責任を押し付けるわけには行きません。さて、どうするのか。これはアメリカも日本も抱えている問題。しかし困った、困ったといっているだけでは何の解決策にもなりません。移民の人達が入ってくること実はまったく別問題だったのではないでしょうか?

あまりにものに囲まれて育ってしまった恵まれた国の若者たち。彼らにいまさらハングリー精神を持ちなさいといったって無理。そんなに簡単に芽が生えるわけはありません。それではどうするか。しかたがない、やる気を持たせる何かをちらつかせるしかないのではないでしょうかね。もちろん企業だけにそれをやらせるのは無理。政府が何らかの形で関与しなくてはと思うのですよ。

やる気がない若者を抱えてしまったらその国の将来はけっして明るくないことは誰の目にも明らか。そうなることを早いうちに阻止しなくてはいけません。もう少しすばやい対応ができる組織が必要なのかも…
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バーチャルと現実の境目
アメリカでは児童犯罪とテレビゲームの関連性についてよく話題になります。銃犯罪をはじめとした凶暴な行動はテレビーゲームのやりすぎ、またはテレビゲームの世界にはまって育った子供たちが現実とバーチャルの区別がつかなくなっているという議論です。もちろん、ゲームをたくさんやっているほかの国の子供たちも同じように凶暴になっているかといえばそうではないという反論もあります。

ゲームの中で凶器を持て人を襲うゲームになれた子供たちは人の痛みがわかりにくくなっているのではないかという意見は日本でもよく耳にしますよね。ゲームはあくまでもゲームであることがわからない子供たちには外で身体を使って運動するとか読書をすすめるなどして他の方法で情報のインプットが必要なのでしょう。

日本にいるときに新しいテレビゲームについての話題をテレビで見ていました。1つは画面の中でアリたちが巣を作っていくもの。見ている私たちは何もする必要がないそうです。アリの巣の断面が画面に映し出されあの複雑なアリの住処がどのように出来上がっていくのかが見られるのです。これはちょっと面白そう、と思ったものの、ただアリが作っていくのを見ているのもどうかな、私には向いていないようです。

次に映し出されたのが画面で熱帯魚を育てるというもの。育て方によっては稚魚も生まれますし、水をきれいに代えてあげたりきちんと世話をしないとえさを食べない魚も出てきて飼い主側の頭を悩ませるというさすが、日本のゲーム、細かなところにも配慮がなされています。しかし、そのゲームを楽しんでいる女性の一言が気になりました。

「かわいいですよね。魚たちは生きているからちゃんと世話押してあげなくちゃいけないんです。」と嬉しそうに話しているではないですか。

「ちょっと待ってごらん。魚は生きていないよ。あくまでもバーチャル。」なんていったら怒られそうです。

画面の上だって生き物を殺してしまうのは悲しいことですからこの女性の気持ちもわからないではありません。しかし実際に魚を飼って水をかえたりエサがなくなっているのに気がついてあわててお店に走ることをしていない彼女には(時間的に無理なのかもしれませんが)本当に生き物を飼うことの大変さはこれっぽちもわかっていません。死んでしまった魚をどうするか、だって大都会に住んでいたら大きな悩みになると思いますよ。

電車の中では隣に座っていた女子高校生が画面の犬に懸命に見入りながら育てていました。あのふさふさしたワンコにさわれないのはかわいそうだな、と思いながら、実際に犬を飼っていたら、どんなに寒くても眠くてもトイレに出さなくてはならない、散歩には行かなくてはならない、実際に病気になったら見ているのがつらい、などは画面の上ではどんなことがあっても経験できないのよね、とちょっと複雑な気持ちに。

バーチャル上でいろいろな経験をするのも大切だと思うんですが、あくまでもバーチャルはバーチャルであってそれは現実とはかけ離れたものであることを本人にいかに知らしめるのだろうか、ということはまわりが気をかけていなくてはならないことですよね。

書きましたが、戦争物が好きでそういうゲームをしている子供たちには戦争に関する書物、ペットが欲しくても実際には事情があって飼えなくてバーチャルなペットをかわいがっている子供たちには動物とのふれあいを描いた書物などを与えて(与えるだけじゃダメ)どのようにしたら「興味を持ってよむようになるか」をまわりの大人たちが真剣に考えなくちゃならない。バーチャルと現実の大きな開きを知らずに子供たちを育てないようにするのは私たち親の責任ですもの。

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他の国にもう少し敬意を…
9/11以前、パキスタンはタリバンと交流を持つたった一つの国だったそうですが、9/11のすぐ後に、アメリカからタリバンとの関係を絶つように、そしてアメリカがオサマ・ビンラデンを追跡するのに協力をするようにまたアフガニスタンの国境にアメリカ軍の配置を許可することなど7つの要求を突きつけたそうです。

現在問題になっているのがその時に、アメリカ側のエルミタージュ氏が、

「アメリカに協力をしなければ、爆撃をして石器時代のようにする」とのような脅し文句を言った、言わないということなのです。エルミタージュ氏は

「そのようなひどい言葉は使った覚えはまったくない。誤解だ。パキスタンがアメリカ側につくのか、つかないのかは訊ねた。アメリカ人にとっては、(パキスタン側の行動により)パキスタンが自分たちの味方なのか、敵なのかはっきりするぞ」とはいったと言っています。もちろんブッシュ大統領はまったくムシャラフ大統領の言っていることは初めて聞いたと驚きの声を上げていますが。

しかしアメリカ側が7つの要求をパキスタンに突きつけたその日のうちにパキスタン側はすべて受け入れたと言いますから、何を言ったのか疑われても仕方がないかも…

アメリカがパキスタン国内に入りオサマ・ビンラデンを追跡すると言う要求にもパキスタン側は不満を表明しています。もし、オサマ・ビンラデンがパキスタン国内にいるという確固たる証拠があれば自分たちで彼を探し出したいと言っています。しかしムシャラフ大統領は

「自分は一国の元首だから、国民のことを一番に考えて返答をした」そうです。

どういう言い方をアメリカ側がしたのかは誰にもわかりませんが、自分たちの国にテロリストアタックがあったからと言ってその犯人たちを捜すためにはよその国にも押し入っていくような論理は必ずしも通用しないということをもう少しわからないと、この国は敵ばかりを作って行くことになりそうです。

アメリカの印象はここのところ世界各国で悪くなる一方といいます。なぜ、人々からよい印象をもたれないのかを考える前に、自分たちの「強いアメリカ」の要求が先に立ってしまうのか… けっして賢いとは思えないのですけれどね。しかし何かと、

America stands strong、 New York stands strong ですから、追跡の手は緩めるつもりはないのでしょう。それにしても世界の戦争の原因はアメリカが作っているとまで言われてしまっているのだから一歩引き下がって考える姿勢が必要ではないのかな…

テロリストアタックがおきてから飛行機に乗るときのセキュリティーチェックがとても厳しくなりました。もちろん安全のためですから、セキュリティーに時間がかかるのは仕方がないと思いますし、きちんとしてもらいたいとも思います。しかし、よその国にも自分たちの国と同じようなスクリーニングを期待しよいものか、もし手薄な空港があったらその国に文句を言ってもよいものか、どこまでよその国のことに口を出してよいものかはこの国はもう一度国民全体、考え直さなくてはならないことです。

先日、北朝鮮がミサイルの実験をしましたよね。これは私の友人にご近所の人が言ったことですが、

「北朝鮮がミサイルの実験をしても、アメリカはイラクに兵士をたくさん送っているから日本までは助けに行けないと思うわよ。」

もちろんこれは一市民の言葉ですから、深い意味はもたないかもしれませんが、意外と痛いところをついているかもしれないとも思います。アメリカの目はイラク、アフガニスタンに向いています。北朝鮮を驚異には感じていますけれど、国民にとってはイラクのほうが身近なことなのです。家族、知り合いが戦っているのですもの。日本もしっかりしないといけませんね。

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いまだにホロコーストの影が
今月頭に、83歳の女性がアメリカからドイツに送還されたというニュースがあります。この女性は第2次世界大戦の最後の10ヶ月、自ら希望して収容所で訓練された犬を連れてユダヤ人を見張る任務についていたそうです。1959年にアメリカに渡り、収容所生活を生きのびたユダヤ人男性と結婚しました。

どのような家庭で彼女の過去が明らかになったのかはわかりませんが、アメリカ側がこのような処置をとったことをナチ戦犯を探す組織のトップ、Efraim Zuroffという人は賞賛しています。そしてエルサレムからのコメントでは、

「自分の意思で収容所で働いた女性だ。同情の余地はない。ドイツが彼女の処刑をすることを望む」と言っています。

これに対してドイツ側はこの女性がアメリカから送還されると言う正式な連絡を受けていないし、入国した記録も今のところ見当たらないと言っているようです。

おもしろいことには、ナチ戦犯に関する事項、10万件以上を調べている機関には、この女性の記録がないこと。また、Effraim Zuroff 側にも彼女の記録は見当たらないことです。

女性の年齢などは別として、第2次世界大戦から60年もすぎているのに収容所の女性に対してこれだけの憎悪間とでも言うのでしょうか、持っているのですね。私たちは歴史の本、映画などからしか当時のことを知ることはできません。だからこの人たちの持つ感情をどうこういう権利はありませんが、犯罪を起こした人がその後60年間の間に自分がしたことを後悔することだって、自分の行動に疑問を持つことだって、まったく信じられない気持ちになることだってあるのだろうに、当時のことだけは後悔、反省しても足りないことなのかしら、と思っています。彼女が今どういう人間であるかは考慮されないまま、処刑されるというのは恐ろしいです。

戦争と言えば、アメリカもイラク、アフガニスタンに兵士を送っています。テロリストを撲滅するためと言う名目はありますが、これも1つの戦争。50年後に、イラクの人たちはアメリカ人をどういうふうに見るのか。自分たちを救ってくれて人たちと見ることができるとよいと思います。どういう将来が待っているかわかりませんがラムズフェルドが戦犯になることはまずないでしょう。第2次世界大戦のときに捕虜の取り扱いがひどいと言って公式な裁判もなく処刑された日本人将校もいたんですよね…

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mixi, myspace
お友達を作りましょうと、日本ではmixi、そしてアメリカではmyspaceというウェブサイトが若者には大人気のようですね。自分の写真、年齢、住んでいる場所、通っている高校までごていねいに載せている子供たちもいます。それを見るのは自分たちと同じような年齢だけだと思っているのでしょうかね?

お友達からの紹介ではないと入れないこのウェブサイトですが、大人たちは策を弄して、年齢をごまかして若者のサイトに入ろうとしています。たまたま自分の娘のmyspaceのページを見たあるお父さん。娘の挑発的な写真に怒り娘を叱ったかと思えばところがそうではありません。このお父さんどうやったのか自分を偽り娘のページに紹介してもらい、娘とお友達になったそうです。もちろん娘は自分のページに招待した18歳の少年が自分の父親とは知りません。

どこか出会いましょう、なんて約束したら笑えるのに。きれいにおしゃれしてうきうきしながら出かけていったら待っているのは自分の父親だったなんて想像するだけでもおかしい。しかしこれが父親だからまだ安全だけれど、どこの誰かもわからない犯罪者だったら本当に怖いこと。この辺がまだまだナイーブな10代の子供たちです。

犯罪者がこのようなウェブサイトを引っかかりそうな女性を探しながらサーフしているのも危険なことですが、それよりもこのようなウェブサイトばかりに行って、実際の人間との交流、付き合いがない人間が増えていくことを想像するのも鳥肌が立つ想いです。こんなウェブページでお友達が何人増えたところで、それは「お友達」の定義には属しません。単なる「知り合い」です。「知り合い」がたくさんいたって大切な「お友達」が実際に作れないのでは自分が将来困ることを家族が教えてあげないと…

そんな「知り合い」の人数で競い合うなんてバカらしいことをどうしたらわかるのでしょうね。Mixi,myspaceなどのサイトに行くなというわけではなく、時間を制限していくことを教えていかないといけないですよね。それでなくても携帯を手から離せない年代ですから。(なんてひとまとめにしたらだめですか?)自分の権利を主張して時間を使うことが許されるのは、自分の行動に責任を持てることが前提のはず。自分勝手に時間を使ってあとで後悔してももう遅いのです。

時間を有効に使わなくてはいけないことは小さいときから教えたいことです。もしお金を無駄に使ってしまってもがんばって貯金すればお金は残ります。しかし無駄に使ってしまった時間はもう取り戻すことができないのです。ためておくこともできません。使えるときに使わないとその時間は過去のものになってしまいます。16歳の時間はその瞬間だけ。あとで、16歳のときにこうしておけばよかったとどんなに思っても戻れません。繰り返しますが、お金はがんばれば取り戻すことは可能です。

なんか、自分の考え方、生き方をしっかり持って生きて欲しいと願うのは難しいことになってきているのでしょうか?常に人とのかかわりをしていないと不安というのは言い返せば自分に自信がないということにつながりませんか? アメリカではself esteem が低いとこのような症状(?)を起こすと言われています。自分に自信がないために常に人からのフィードバックがないと心配でいられないということなのでしょう。

自分の中身を知ってくれるほどおしゃべりをして、同じ時間を共有してそれから友人というものはできていくものですよね。その友人を何人持っているか、指折り数えてみてください。

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携帯が耳から生えてる
働きすぎのアメリカ人というニュースが数週間前に流れていたけれど、これはアメリカ人に限らずおそらく最新機器に振り回されている人間の悲しい姿のような気がしています。

携帯電話が体の一部の子供も大人も、休暇で旅行に行くのにもラップトップが離せない人たちも(私もだわ)、別に見てもいないのにテレビがついていないとだめな人たち、人と会話をするよりもスクリーン上でのチャットのほうが得意な人たち、子供の世話をDVD,テレビに任せてしまう親たち… どこか何かがおかしくなっているようで…

携帯電話も出たはじめはとても便利だと思った。自分が出かけているときに急に学校から早く帰ってくるという子供からの電話など、緊急時に使うのが携帯電話というイメージがあったのに、それがいつの間にかまるで手から携帯電話が生えているみたい。

しかも携帯が離せないものだからbluetoothとこちらでは呼ぶ耳につけるヘッドホンが出てきて、今度は耳から携帯電話が生えてきたらしい。文明の発達とともに賢い人間が発明したもののはずなのにいつの間にか人間が機械に操られていて、誰もが危機感を持ち始めているはずなのになぜか離せない。これが人間の弱さなのかしらね。

「個性が大切」なんていわれながら、インターネット、携帯のおかげで常に人とかかわっていないと不安でたまらない人たちから「個性」はどんどん消えて一人でいる時間にまで集団(人との)時間が侵食してきています。

本来ならば1人で考える時間、または本などから自分が知らない時代、道の世界に触れる時間であるはずなのにそれ削られ同じような人たちがいつも会話をしているから、自分のコンフォートゾーンから抜けられなくなっている。コンフォートゾーンならまだしもだんだんそれが娯楽ゾーンになっていくと私たちの脳は進化が遅れていくような気がしませんか? 脳が困難なこと、新しいことにチャレンジする機会が減っていっています。

子供の教材と言いながら、言葉、数字、英語のDVDを見せている親たちも、もしかしたら自分でやるよりもスクリーンに任せていたほうが楽と言う気持ちがどこかにないのかな、と思うこのごろ。言葉、数字、基本の英語なんて大学の卒業証書を持っている人ならば簡単にできると思うのですが。いったい何のために大学に行ったのだろう… (仕事を持っている人たちは別です)親と子供のかかわる時間はかけがえのないものなのに。

親が疲れているとき、具合が悪いときとかバランスよくDVDを使うことができれば効果的に使えると思うけれど、だんだんDVDに頼る時間や、人に頼る時間が長引くようになったらいったん立ち止まって考えるときだと思います。

それはどの機械も一緒。携帯もなかったら次の日に話せばよいことを何も今、忙しそうに話すことのないはず。本当にそれだけ緊急性があることなのか、考えられるのが人間。機械に操られることなく賢く機械を使える人間になるように気をつけていかないと、人間どこかおかしくなっていきそうです。まるで人間が機械に足を引っ張られているみたいで

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