The First State からの贈り物

The First Stateのデラウェア州から南部に属するテネシー州に引っ越しました。北東部とはまた違ったアメリカの姿、ニュースを盛りだくさんにお知らせします。
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テレビを見ていて思ったこと
日本に帰ってくるたびに感じることなのですが…

まず、舌ったらずのアナウンサーが多いこと。この人いったい何をしゃべっているの? もう少しきっちり日本語を発音できないのかしら? とテレビをつけるたびに思います。年期を積んだ女性アナウンサーはいったいどこに行っているのだろう、バラエティー番組かしら? なんといってもアメリカのニュース番組に出てくるキャスターはベテランばっかり。間違っても年齢で人を選んだりしたら差別で訴えられますからね。経験を積んでいる女性に舌ったらずの女性が勝てる職業はあの国にはなかなかありません。MTVは別だけれどね

次、やたらに人がたくさんでていること。さも専門家のようなことをいっているように発言をしているけれど何をいっているのか内容がまったくない変な人たち。どうしてあの人たちがずらっと並んでいるのか誰か教えて欲しい。何のため? 1人、2人では場を持てないから? 知識がある人のはなしは聞いていておもしろいけれど、まったく本人が何を言っているのかおそらくわかっていないだろうなという、あさってな発言をするのをなぜ聞かなくてはならないのだろう。もしかしてこれはお笑いをねらっている? それとも本人おおまじめ? それこわいよね。

それから、キャスターがニュースを伝えるだけではなくて自分の意見をとうとうと述べる人がいるのですよね。しかも声に抑揚までつけて。あれは驚き。ニュースという事実を伝えることと、キャスターの意見を言うことはまったく別物。ニュースという名をつけながらキャスターが個人的な意見を言うとニュースを聞く視聴者側に先入観ができるから、事実がそのまま伝わらないような気がします。それに、視聴者が自分で考える時間を与えていない。これはどうかと思いますね。「私はあなたの意見を聞いていません。」といいたくなるのですよ。まぁ、あれはニュース番組ではなくバラエティ番組の1つと考えればこんなこと考えなくてすむのでしょう。

次、「へ〜」「キャ〜」「え〜」「すごーい」「うっそー」「やだー」なる感嘆詞がおおすぎ。なんてったって人がたくさん並んでいるからこの感嘆詞だって相乗効果でうるさいです。賢さはこれっぽちも見られない。「それなら見るな」といわれるかもしれないけれど別にいい。だって見ていませんもん。

これはニュース番組。1つのニュースにかける時間が長いね〜。アメリカでのニュース一つ一つにかける時間はすごく短くて、ちょっと違うことをしているともう次の話題に移っていることなんてざら。もう少し説明して欲しいよ、と思うこと多くていけません。しかしこの逆に日本はなぜ、ここまでごていねいに再現したり、同じセリフを繰り返したりするのだろうと疑問。もう少しまとまって放送すれば別のニュースも伝えられるだろうに、と余計なおせっかい。そして「過激」「極めつけ」「超〜」という誇大広告としか取れないような言葉が頭についていることも目に付きます。そういう言葉をつけないとニュースとして受け止められないですか?

何でもおもしろくしてしまう傾向もあるように思うな。お笑いではないのにちゃちゃを入れてみなの笑いをかうのもいいけれど、何でもかんでも「面白おかしく」してしまうのはどうかな。もう少し真面目な番組とお笑い番組のラインをはっきりした方がいいように思うのですが。何でもかんでも「笑って」というのはあまり好きな風潮ではありません。お笑いでも人を馬鹿にしたり、コケにする笑わせ方は現在の「いじめ問題」につながるのじではないかしら。テレビに出る方たち、少し言葉に気をつけたほうがいいんじゃない、というよりも言葉、表現に敏感、繊細になったほうがいいと思います。それでなくてもなんだかスタジオばっかり楽しんでいるような番組多いし。

ということで、うるさい番組を見たくない私は結局日本にいてもCNNを見たりしてしまいます… でも、水戸黄門は見のがせません。

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出た!ホリエモン逮捕
ホリエモンが逮捕されたというニュースがニュースサイトのトップを飾っていました。粉飾決済、証券取引不正など少し前にこちらでEnronをはじめとした企業の内部腐敗のときに見た罪状となんか似ているな、と思いながら。

エンロンの中でおきたことについて書かれた本を読みながら、ここまで人間は貪欲になれるのだと感心したのを思い出しました。

ホリエモンが実際にこのような不正をしたのかどうかはこれから地検なりが明らかにしていくことなのでしょうが、正直なところちょっと私はホリエモンが気の毒になっています。

ホリエモンのテレビ局買収劇、野球チーム買収劇、テレビに頻繁に出ていることなど、こちらのオンラインニュースで見ることはあってもテレビでの会談、インタビューなどはまったく見たことがない私の印象ですのでずれていたらごめんなさい。

彼のやり方がどれだけ強引であったか、無謀であったかなどは人々のコメントを読んでいればなんとなくつかめます。まだメディアは彼をまるで「時代の寵児」のような扱い方をしてかなりセンセーショナルに伝えていたのは感じられました。彼がどのような人かはまったく知りません。彼の弁護をするつもりはまったくありません。しかし表面に見える彼の成功を取り上げそれが今までの日本で見られなかった方法であったがためにたたかれていた部分も少なくなかったのではないですか?彼のやり方云々よりも彼の成功をテレビなどは結構無責任に取り上げていたわけでしょう。ところが今回、「ホリエモン逮捕」なんていうと手のひらをひっくり返したような報道をしているに違いない…と私は憶測してしまうのですよ。

テレビではヒステリックな報道が毎日続いているのではないですか?朝のワイドショーなるものにはなぜかたくさん人が並んでいて訳知り顔でコメントをし、うなずき、皆で首をひねっている姿が想像できます。まるで急に全員が経済評論家になったような気分になっています。本当にどこまでわかっているのか、一回テストしてみると面白いのではないですか?そしておそらくホリエモンのプライベートな部分まで掘り下げているのでしょう。いつものことですがホリエモンの今回の事件とホリエモンの個人がごっちゃにされています。

「事件として起きたこと」と「人格」は切り離して考えなくてはいけないと私は思います。特にこれは殺人とかいった性格の犯罪ではありませんから。彼の今までのマスコミへの対応、自分のテレビ出演など自分の売込みが彼独特だったことはあるのでしょうが、だからといってテレビなど力がある報道機関が個人攻撃とも思われるような取り上げ方をしてよいものか… 「悪いことをした人だからそれくらいしょうがない?」そうなのかなぁ? 事実はもちろん伝えてほしいけれど、それをどう思うかは国民一人ひとりに任せてほしい。どのように考えたらよいかなんて、テレビに出ている人たちに教えてほしくない。

産経新聞だったかな、オンラインで読んでいたら「苦労しないで簡単に金をもうけてきたのでしっぺ返しがきたのだろう」という一般人のコメントが載っていました。

「わぉ、この人はホリエモンが苦労しないで簡単に金をもうけてきたと断言できるんだ。すごいな。でも、この人がこういう感想を持つのはテレビの影響があるからかも」

あれだけの巨額の富(?)を作れる人にはまず大きなリスクをとれる感覚が身についているはずです。人脈作りだって経済知識だって状況判断だって情報収集だって普通の人たちに比べてずっと努力をしてやってきたのではないですか?(これは想像ですが、そうとしか考えられません)大変な苦労だったと思いますけれどね… 結果しか私たちには見られませんから、それだけを見て「苦労しない」といってしまうのはホリエモンがかわいそう。というよりちょっと人と違ったことをして人よりも飛びぬけてしまった人がかわいそうと言いなおしたほうがいいのかな。良いにしろ悪いにしろたたかれます。

新しいことを取りいれるには柔軟な思考力だけではなくエネルギーを必要とします。取り入れられずにアップアップしてしまう人がいるのは仕方がないことだし、時間がかかって当然です。でもだからといって新しいことを取り入れようとしている人を認めないようでは私たちは前へは進めません。ホリエモンに限らずあのようにのし上がっていく人たちの押しの強さが気に食わず、また自分の好み、やり方に合わないとしてもそれはそれとして第3者的に彼のやり方を冷静に判断できる目を養っていくことが、自分たちの成長につながるのではないでしょうか。

ホリエモンが今何を考えているのか、私たちには知る術はありません。後悔しているかもしれない(いったい何を?不正を働いてしまったかもしれないこと?テレビでの対応?人との会話の持ち方?強引な商売?猪突猛進してしまったこと?) でもあくまでそれは彼個人の問題。不正を暴くことは大切なことですが、それ以外は私たちが踏み込む領域ではありません。

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女子バレーの放映になぜアイドルが?
今、テレビで日本とポーランドの試合をやっています。観客の歓声、後ろに聞こえる
「ニッポン、ニッポン」を促す男性の嬌声。ものすごいお祭り騒ぎです。いつの間にかスポーツ選手がアイドル化している日本女子バレーボール。バレーボールの人気を高めるためにもアイドルが必要なのでしょうね。

それはそれでよいとして、サイドラインにいる若者は何なのですか? 人気アイドルグループだろうな、と想像はつきますが、彼らは何をしているのですか? どなたか教えてください。これはずっと疑問に思っていたことなのです。バレーボールが好きだから、といわれてもなんとなく納得がいかないような… なぜかというと試合のあとにコメントを求められても「すごかった」「強かったですね」なんていう一般的な形容詞が多くて、特定のポイントのコメントなどはまったく聞かれません。それを見ていると質問をしているほうもおそらくそういう答えは期待していないのだろうなとかんぐってしまうのですよ。

これもバレーボールの人気を高めるためにどなたかが画策しているのでしょうか? バレーボールの人気が高まることで何をこの方たちは期待しているのでしょうか? 番組視聴率が上がること? バレーボールの楽しさを伝えて次の選手たちが育つこと? テレビ局の人たちの意見でしたら、視聴率を上げることがおそらく一番の関心でしょうね。アイドルがサイドラインに座っていなかったら女子バレーの人気は落ちていってしまうのかな?

視聴率が上がって万々歳かもしれませんが、バレーボールをアイドル化することはどんなものでしょう? バレーボールはスポーツですから普通の生活を送っている私たちが想像もつかないトレーニングと練習を重ねた上で、あのようなプレーが出来るわけですよ。その結果だけというか、コート上の姿だけを見てアイドル視してしまうのはバーチャル感覚でものを見ているのと変わらないのではないでしょうか? つらいところはまったく見えていません。

選手の方たちはもちろんたくさんのファンが見に来てくれたほうがやりがいもあるでしょうし応援してもらって嬉しいでしょうから、こんなことを考える必要はないのかな、とも思います。しかし目に見えるところだけで判断しがちな今、スポーツとアイドルとの間に一線を引くことが必要に思えてなりません。選手をアイドルのようにあだ名をつけること、人気のアイドルをサイドラインに置くことをすべてやめてしまったときに果たしてバレーボールの人気は今のまま保てるのか、もし保てないのならば「なぜ」なのかを考える時期ではないでしょうか?パッケージにしないと視聴率が上がらない理由を。

 クリックはここですヨ
高1刺殺殺人事件のことばかり
テレビでも新聞でも取り上げられている町田で起こった女子高校生刺殺殺人事件。「少年の横顔」「以前交際か」などというお決まりの文句に加えて「なぜあの子が」「おとなしそうな少年だった」という人々のコメントが紙面、画面をにぎわせています。

テレビ、週刊誌のレポーターが知りきれないそれぞれの事情、気持ちの流れがあるのだから、第3者がそこまで想像をたくましくして騒ぎ立ててどうするのだろうと思うような報道。事実は知りたいけれど、推測でしかないものが多すぎるとなんだかそれが事実のように聞こえてしまう。またスタジオに並んでいる評論家のふりをしている人たちの意見もあまりに当たり前のことやら、自分の意見を事実のように伝えることも多く、視聴者側は混乱するばかり。

ワイドショーを見てそこで伝えられていることが意見も推測もひっくるめてすべて事実だと思っていた友人もいます。彼女は息子に
「お母さん、ワイドショーで言われていることを鵜呑みにしたら駄目だよ。本当のこととそうでないことがあるんだから。」といわれたと恥ずかしそうに笑っていました。

このような事件が起きるとどこのチャンネルでもご丁寧に再現フィルムやら交えて延々と時間をかけて何が起きたかを報道します。事実だけを伝えるのならばその十分の一の時間で終わるものもレポーターの感極まった声、抑揚をつけたまるで語りかけるような口調で同じ内容を繰り返します。アメリカ人もスキャンダルは大好きです。ゴシップも大好きです。しかしそれを見るのはスーパーマーケットのレジのすぐそばにあるゴシップ専門の新聞、タブロイド誌と呼ばれますが、がほとんどです。ケーブルのチャンネルで芸能関係のニュースを中心に番組を設けているところもありますが、4大チャンネルと言われるチャンネルではそのような番組はありません。

ここまでこのような報道が多いと、テレビ局側は国民が出来るだけ噛み砕いてわかりやすくわかるようにと親切心でこういうワイドショーをやっているのかと思ったりもします。そこまで丁寧に説明しないと視聴者はわからないだろうと考えているのかな…?うーん、小さな親切大きなおせっかいだったりして。あのレポーターの熱気と気迫、すごいですものね。

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MTVのこと
アーティストがとっかえひっかえ新しくなっていくような気がする音楽の世界。MTVで流れるビデオでまたまた様変わりをしました。耳で聞いただけで判断された音楽と、ビデオを見ながら聴いた音楽では印象がまったく異なりますからね。ラジオで聞いているだけでは顔もスタイルも見えませんから音楽の質だけが人々の耳に入ります。ところがビデオを見ることによって好みの顔、スタイルがよいこと、ファッション性など音楽本体とは無関係の部分がCD販売、レンタルに大きな影響を与えることになります。

しかもMTVで流れているビデオの中では音楽を聞かせることが目的なのか、女の子が(どう見てもまだ女性ではありません。しっかり化粧はしていますが女の子です。)が短いスカートをはき体をくねらせながらセクシーさで世の男性の心を捉えることを目的にしているのかわからないものがたくさんあります。同じ歌、声でも見た目があまりよくない女性が歌っていたらおそらくヒットはしないのだろうな、とつい思ってしまいますよ。それだけビジュアルなものに頼っている音楽性がここでは見られます。もちろん、見た目がよいというのはアドバンテージかもしれませんが、音楽は目で見るものではなくて耳で聞くもの…と私は思っているので納得がいかないことがよくあります。

もっともこれが音楽の商品価値を高めると業界の方たちが考えてなさっているのでしょうから、私が文句を言う筋合いでもありませんが、それで音楽の質が落ちていくようでは芸術という観点からはけっしてよろしくありません。ひとつの流行だからと捉えればよいのかもしれませんがね。でも、これがこのまま音楽の主流になってしまうかと思うと、うーんとうなりたくなります。

同じようにニュースキャスターの方の中にも「あれ、この人、舌足らずだよ」と思われる方たちがいます。どなたもまだまだ若くてきれいなお嬢様たちです。きっと才能があり入社された方たちなのでしょうけれど、一応マイクの前でお話しをするのであれば、舌足らずではないほうが聞こえがよいような… それともこれもMTVと同じでかわいらしさが優先されるのかな?

どんなに若くても才能があり、しっかり仕事がこなせる人に責任ある仕事がまかされる、チャンスが与えられるというのは素晴らしいことです。よい仕事ができるのであれば年齢など関係ないはずです。しかし仕事は今ひとつだけれど、若いから許される。というのが今の日本の風潮になっていませんか?「若いからいい」「かわいければ許される。」「イケメンでないと」といった流れが日本の文化の主流になりつつあります。「かわいらしく」することばかりに気をとられていては心、頭の成長ができません。しかし可愛らしくしていればちやほやされる職場であれば誰もがとりあえずは可愛らしくしようとしますよね。これは悪循環です。年長者側にも問題があります。

表面ばかり飾り立てて中身がないと、上手に年はとれません。年齢は重ねているけれど、精神的にはまだ子供なんてことになりかねません。「かわいらしさ」に気をとられて自分を磨くことを忘れていたらあとで苦労するのは自分です。それを周りの大人たちが教えてあげなくてはいけません。だから周りの大人たちも自分を磨かなくてはならないのですよ。
テレビについて
テレビ番組欄を見ると、いかに「お笑い番組」が多いかわかります。確かに今、「お笑いブーム」なのでしょうが、どのチャンネルを回してもこれでもか、これでもかというほど同じ顔のお笑いタレントが画面に出ています。「お笑い」があるのは人々の心を暖かくするので素晴らしいのですが何にでも限度があると思うのです。素晴らしい才能を持ったお笑いの人も多数いるのですが、その取り巻き?としか思われない人たちがたくさんいます。人より大きな声で騒ぐ人、人と違った格好をして騒ぐ人、ただ単に目立とうとしている人たち。これくらいできる人、どこにでもいそう。と思う人たちが我が物顔で画面を独占しています。どこもかしこも「お笑い」。

「お笑い」は「ボケ」と「突っ込み」とよく言いますが、昔の漫才のように1対1の掛け合いではなく今は、1対多数というのもよく見かけます。誰かが言ったことに対して会場になぜかたくさんいる「お笑い」の人たちが大笑いをする。それを見て視聴者が笑うわけですよね。もちろん芸人さんたちですから笑われることが商売ですが、それも見ている視聴者もそういう笑い方をしてもいいような気がしてきます。するとテレビの画面ではなくて日常にも「ボケ」と「突っ込み」役ができてもおかしくないのではないですか? 「馬鹿にして笑う側」「笑われる側」ができます。「笑われる側」はそれで良いと思っているのかどうか…

クイズ番組を見てもそう。非常に賢い「お笑いタレント」の方たちはすごい。あの人たちの頭の回転のよさには驚かされます。役柄なのか、実際そうなのかわかりませんが、できないことを売り物にしている「お笑い」の人たち。番組を楽しく盛り上げる役にしてはお粗末過ぎる答えの行列。知らなくてもいい。できなくてもげらげら笑ってそれで良いんだ。常識なんていらないというメッセージが知らないうちに送られています。クイズ番組として見るからいけないのかもしれませんね。これも「お笑い」として見ないと。

これでは視聴者も考えることを忘れていきませんか? 特にこれから成長していく子供たち。「お笑い」に慣れてしまうと難しいドキュメンタリー番組などがどうしても縁遠いものになっていく… 「お笑い」の人の価値観が世間にはびこっていく。そんな心配を感じませんか? 怒涛のようにテレビ番組が「お笑い」に傾いていっています。歯止めがないかのように。

最後に、お笑いのスターの人とスポーツ界の人が番組内で会話しているのを聞いていて気になること。お笑いの人は
「そうだろう。」「何いってんだ?」といった口調。それに対してスポーツ選手の人たちはきちんと「です。」「ます。」口調。私には芸能界の先輩、後輩のおきてはわかりません。でも芸人さんとスポーツ選手はまるきり異なった世界に住んでいるのですから、少なくともていねいな言葉で会話をするのがマナーではないですか? なぜメジャーリーグで成功しようと血のにじむような努力をしている選手たちが「お笑い」の人気者に呼び捨てにされるのか、私には理解できない世界です。

「言葉」によるマインドコントロール
どこかのテレビ局での解説者の方の言葉。一語一句を覚えているわけではありませんが、
「どのテレビ番組を見ても極端に言えばそのニュースを疑ってかかる事が必要です。私達は知らないうちに言葉のマインドコントロールにかかってしまうのです。」とこのような事をおっしゃっていました。

そう、そのとおりですよ。それでなくても日本の番組は出演者の人数が多すぎて次から次へと情報のたれ流し。出演者の方々も唯識者の方からなぜ、この人が出ているのだろうと思うような人までが席を埋めています。出演料をまかなうためには広告をより多くとらなくてはならないだろうし、そうするとコマーシャルがふえるし、すると番組内容がどうしても薄くなるし…なんていうのはいわゆる下司のかんぐり?

どこかのテレビ局で「ワイン1杯飲むと血行がよくなる」というと次の日にはワインの売り上げが、「ココアがいい」というとココアの売り上げがあがるそうですよね。それだけテレビの影響力が強いという事、言われた事をそのまま鵜呑みにする視聴者がどれだけ多いのかがよくわかります。

事実と推測、もしくは推論との区別がつけられなくなると危険です。テレビで流れた事をそのまま真正直に受け取り信じてしまう事がもたらすマインドコントロールを考え直す必要がありますよね。新聞、インターネットでは文字は文字。言葉に表情はありませんがテレビではキャスターの表情、身振り手振り、声の抑揚によって受けとり方も変わります。とくにコメントがはさまれるとまるでその人のコメントがニュースとして伝えられている事実の一部として受け取られかねません。これは怖い。しかもそのコメントがニュースに関する知識がある人ならともかく、そうではない人からのコメントだとどこまで正しいかを差し引いて聞かないとニュースがニュースではなくなってしまいます。

どの番組もバラエティー番組化している今、ニュース、ドキュメンタリー、クイズ、スポーツ、お笑いなど、どこかで一線を引く必要が出てきますね。どこまでが事実でどこからが人の考えなのか、誰の意見なのかがあいまいになると自分の中で情報を処理するのが今以上に困難になってしまいます。しかも日本語と言う言語があいまいな言語ですからよけいに何が事実なのかわかりにくくなるのは当然です。

結局、視聴者が賢くならなくてはいけないということですか… 

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