The First State からの贈り物

The First Stateのデラウェア州から南部に属するテネシー州に引っ越しました。北東部とはまた違ったアメリカの姿、ニュースを盛りだくさんにお知らせします。
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恥ずかしいことは誰にも言えない。
アメリカ人は1家庭あたり平均で約230万円の負債を抱えているといいます。クレジットカードの負債、大学の学費ローン、病気、事故などいろいろな原因が考えられますが、やはりクレジットカードの誘惑に負けてつい買い物をしすぎてしまったという人も多いようです。

クレジットカードの勧誘の手紙は毎日のように送られてきます。最初の数ヶ月は支払いをしなくても良いとか、低金利とか、前もって審査をする必要がないとかとにかく誘い言葉をたくみに私たちを誘おうとしています。他のクレジットカードの上限まで借り切っている人たちにとったらまるで救いの声のように聞こえるかもしれません。今回だけ新しいカードを作って上手に返済を始めようと心に決めながら同じようなことを繰り返している人を数えたら膨大な数に上るでしょう。

クレジット破産になるのが恥ずかしいためにこのように多数のカードを作りクレジットヒストリーが悪くなり毎月支払う最低限の支払い金額も払えない人達が、その気持ち、日常をブログに書いているそうです。間違っても親にいえない、友人にも言えない心のうちを不特定多数の人になら書けるのでしょうね。自分がどのようにしてクレジットカード負債を膨らませていったか、いったい今どれくらいの残高があるのか、そして支払いをするためにどのような努力をしているかなど事細かに書いているそうですよ。

両親に言わないのは怒られるとか、文句を言われるという気持ちもさることながら、自分を今まで応援してくれた両親をガッカリさせたくない、心配させたくないという気持ちが強いようです。また、友人にいえない理由は自分を相手に対して悪く見せたくないという自己防衛の気持ちが働くみたい。友人といえばそういうことも言えて相談できる人のことをいったような気もしないのではないのですが、そうではないらしい… 確かにかっこつけておきたいという付き合いもありますが、それでもどうしても自分のつらい実情を話したからといってそれで自分の価値が下がるような友人というのはやはり付き合いの短い、浅い友人ではないのかしら?

しかしブログなら自分の知らない人達だから自分の恥ずかしい部分も見せられるということらしいです。そこで毎日の出費の様子、何をいくら節約したのか、月々の返済の様子など細かに説明していくと、とりあえずブログの上で皆に約束したのだからそれを守らなくてはならないという気持ちになるのですって。中には、友人でもないブログの読者の人達にも義理を果たさなくてはならないように感じることもあるというのですからチョッとおもしろい。

また、ブログへのコメントで応援をしてくれる人、またそこまで負債を抱えることに対しての叱責、怒りの声などを書き込んでくる人もいるというので、まぁ、励みになったり反省したりと意外と便利なのかもしれませんね。

でもね、私はできるなら家族とかに借金がそこまで膨れ上がる前に相談する方が賢いと思うのですけれどね。なぜって? だって借金が膨れ上がればあがるほど利息がふえるわけだから私から見たらよけいな出費がかさむということ。そうなる前に何とか解決ができるように親とか信頼できる友人に相談して借金の総額が増えるのを防ぐのが絶対に正しいと思うのですよ。何だって被害が小さいときの処理の方がずっと簡単。虫歯だって早く歯医者に行けば歯を抜くこともありません。(関係ない?)

もっとも、親も子供からそういう相談を持ちかけられる関係を作り上げていかなくてはならないのですけれどね。逆に親が借金を作ったらどうなるのかしら? 子供に相談しに行くのかな…?

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アメリカ人ていったいどこの国の人?
変なタイトルをつけましたが、ときどきふっと思うのです。アメリカ人てだれのことを言うのだろうって。市民権を持っている人は皆アメリカ国民ですよね。しかし、人種のるつぼですからそれぞれの顔はまったく異なります。

ナッシュビルに引っ越してくる前に、友人から彼女の義理の妹かな姉がナッシュビルに住んでいるから落ち着いたらぜひ連絡をするようにと、電話番号、家の住所、メールアドレスをもらいました。その時に友人が一言、

「彼女は韓国人なのよ。」といいました。私が日本人、韓国人、それとも中国人かな?と彼女の記憶があやふやだったからそういう言葉が出たのかもしれないのですが… 別にどこの国の人であろうとあまり関係ないのですが。とりあえずその友人はアメリカ人…?だと思います。いわゆる白人。

こちらに来てその女性(Pさんとしましょう)と電話で話したのですが、彼女はアメリカ生まれのアメリカ育ち。ご両親は韓国人ということですが、アメリカで生まれていますからおそらく国籍は彼女はアメリカ。英語だってもちろんネィティブの発音ですよね。私から見たらそういう人はアメリカ人であり、韓国人ではないのですよ。

そして彼女と話していてわかったこと。義理の姉妹に当たるデラウェアの友人はJewishだそうです。ユダヤ人。でもアメリカで生まれ育っているからアメリカ人…? でもそれなら、Pさんだってアメリカ人のはずでしょう? あえて韓国人という形容詞は必要ないと思うのですが… 彼女を誰かに話すときに、Jewishなのよ、とはわざわざ言わないよな…

白人であったら、その人のご両親がイタリア人であろうとフランス人であろうとアメリカ人ということになり、それ以上の説明はつかないだろうに… とちょっと複雑な気持ちになりました。

まぁ、デラウェアの友人も別に深い意味を持っていったのではないかもしれないので、こだわる必要もないのでしょうが、ちょっと気になったもので。

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肉 
ひどいタイトルですが、今朝のテレビでしつこくアメリカ人の肥満が増加そのために病気が増えていることを流していたのですが、番組中に外科医が牛肉の大きな塊を持ってきて、メスを入れ始めたのです。

ハハ、本当に肉の塊。もちろん表面には2−3センチの油がしっかりついています。彼女はメスを入れながら、

「肥満の人の脂肪はこんなものじゃない。たったこれだけの脂肪で(たったこれだけ? 3センチもついているじゃない、と思いつつ自分の横腹をつまんで黙りましたね。)どれだけ筋肉質にメスが届くのが大変か。そして脂分が外科医の体温で溶け出して手袋が滑りやすくなるから、メスなどの器具も使いにくくなるし、手も何度も拭かなくちゃならないから手術にかかる時間が必要以上に長くなるのです。」

このように目の前に肉の塊を出して説明されるととても説得力がありますよ。見入ってしまいましたね。

次に彼女が言うには、

「もちろん私たちは病人の治療に全力を尽くすけれども、ものすごい肥満の患者がいたらその人をストレッチャーから手術台に移動させるときにものすごくためらうのよ。いったい何人必要なのか、自分たちの腰は大丈夫かって。」

なるほどね。それはそうだわ。医師、看護婦の方たちだって人間ですものね。自分の身体があっての職業です。助けたいけれどあまりの体重の人は持ち上げられない…それは仕方がないですよ。それは差別だとか言ったらいけない… と思うな。太る理由は個人で違うのだろうけれど、これだけメディアが肥満と病気の関連性を伝えているのにそれでも脂肪分が多い食事をやめられない人たちが病気になったときに、どれだけ標準体重の人に比べて迷惑をかけるか、そこまで考えていないか。

「食べてエクササイズをしなかったら太る。」それを車のステッカーに張って皆では知ればもっと人々の意識の中に入るのかな、「私たちは軍隊をサポートします」というステッカーよりも「食べるのやめよう」とか「太ると手術台になかなか乗せてもらえない」(いや、これは差別だと訴えられそうだからやめよう)「健康に生きて生きたいなら脂肪の摂取を減らそう」という新しいステッカーを作ろうかしら?

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そんなに急いでどこへ行く?
デラウェア州に住み始めてからもうすぐ丸9年がすぎようとしています。ここに来た9年前に比べて最近人々はとにかく先へ、先へと急いでいます。いったいなぜなのだろう? わかりません。しかしこれを感じているのは私たちだけではなく、ずっとここに住んでいる人たちも同じことを言っているからきっとそうなのでしょう。

たとえばどんなときにそれを感じるか。青信号が黄色に変わり、そろそろ赤信号に変わるなといったタイミングってわかりますよね。もうまずいぞ、というときに停止戦で止まった時に後ろの車にクラクションを鳴らされるとき。先日なんか赤信号で止まったら鳴らされました。私は赤信号では行きたくないぞ。と動きませんでしたが。

次に、ショッピングセンターでのこと。日曜日などいくつかのお店が並ぶショッピングセンターは車で大賑わい。とにかく1つの店自体が大きいから5つ先のお店に行こうとするときにたいていの人たちは車を動かして目的の店の近くに止めようとします。(だから太るのよね。お天気がよいときには歩いたほうがずっと健康的なのに。)だから歩行者も車もごちゃごちゃになるショッピングセンターです。歩行者の人たちがわたっているから待っているとそれが勘弁できないような人たちを見ました。前の車にクラクションを鳴らしてイライラした様子。歩行者もびっくりした顔で見ます。しかし車が止まってくれたのを見ながらまったく急ごうとしない歩行者もちょっとどうかな、と思うけれど… 体が不自由とかお年寄りなら急ぐ必要はないけれどね。

それから最高速度が65マイル(100キロちょい)の道路ではまるで最低速度が65マイルのような走り方が普通。その先で左折をしようとしてのろのろと左レーンを走っていると(アメリカは車が右側運転です)ものすごい勢いでその車に近づいていって急に右レーンに出て抜く車たちの多いこと。なぜか余裕がないのよね。

また、こちらには4方向のストップサインというのがあります。ちょっと厄介なのですが、基本は一番最初に止まった人が言ってよいというルール。ただ道路が坂でなかなか止まれなかったり、直進の車、左折の車、右折の車がいるとときどき順番が狂うけれど、とりあえずみんなその辺のタイミングを心得ていたはずなのに… 最近では自分の順番も待たずに前の車についていって走り抜ける車。ストップサインだからほかの人がきちんとと待っている間にここぞとばかりに一番最初に走ろうとする車が増えましたね。友人は、ストップサインで止まっていたら、後ろの車に追い抜かれしかも悪態をつかれたとか。彼女はルールに従って止まっただけなのに… とひどく傷ついていました。

インターステートを走っていると右から左へ、また右へと車線変更をして一生懸命前に出ようとする人たち。そのわりにはあまり先に進んでいないのだけれどね。

なぜか本当に余裕がありません。いったいどうしてしまったの?と声をかけてあげたいくらい。人より前に出ることが大事。ヘッドスタートをとらないと負けてしまう。自分が一番。どうもそういう人たちが増えているらしい。これはもしかしたらデラウェア州にコーポレートアメリカがたくさんあるからかも。いわゆるグローバルカンパニーを自負する会社のトップの人たちは会社でも上の立場だし、生活の裕福だし、しかも先に向かって走り続けているからね。そう、走り続けないと人に負けてしまうという恐怖感があるのかもしれない。それが会社以外の場所でも出ているのかな。そう考えると気の毒。

だけどそういう人たちの運転を見ていると本当に腹が立ちます。だって周囲の人に関心がまったくないというか自分の好きに運転することが自分の権利のように思っているような運転なのですもの。コーポレートアメリカのトップの人たち。なんかなんでもコントロールできるような錯覚に陥っているのではないかな。それも儲かっている会社、部署の人たち。出世街道まっしぐらの人たち。

友人のご主人の運転が結構ひどいみたい。お嬢さんたちにも嫌われているような運転なのですって。回りにゆっくり走っている車がいるとイライラ。表情、態度に出ているって。そして「人を押しのけるような運転をするから恥ずかしい、自分が一番先に行かないときがすまないみたい。」と言うのは友人のことば。「本人はそれがなぜいけないのか、まったくわかっていないみたい。」と呆れ顔の友人です。お嬢さんたちはもう父親の運転の車には乗りたくないって。どれくらい悪いか、なんとなく想像つきません?

そういう運転はやめましょうね。まわりにはいろいろな運転手がいるのですもの。思いやらなくては。(だからといって好きなだけゆっくり走ってよいわけではありません。)

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配達は一日に14軒
今日、ベッドが届きました。35度の気温の中、滝のような汗を流しながら家の中に運び込んでくれました。本当は火曜日に来るはずのベッドでした。

火曜日は屋根を張り替えた日。ベッドの配達の日程を知らせてくれたお店の人にその日は屋根の張替えの日だからおそらく家の前の道路はバンでいっぱいになるだろうし、重い家具を運ぶのは無理だと思う、といったにもかかわらず電話の人は「大丈夫、問題ない」の繰り返し。「本当に大丈夫かしら」と思いながら待っていた火曜日。家の上からは屋根が次から次へと降ってくるしとても家具など運び込める状態ではありませんでした。

結局その日はトラックの運転手の人が「運び込めそうにないから別の日にして欲しい」というので今日になったのです。その日私はベッドカバーも取りベッドが運び込みやすいように朝から準備していたのに、またベッドの作り直し。2度手間でした。

そこで今日やっとベッドが来たわけですが、組み立ててもらいほっとしたのもつかの間。おいていった箱の中を見ながら主人が
「パーツが残っているよ」と一言。

いやーな気分になった私は作り方説明書を見る主人を眺めるだけ。そのうち

「支えになるクロスバーがついていない」というではありませんか。

そういえば、運んでくれた青年が言っていました。毎日14軒の家に配達していると。14件と簡単に言っていましたけれど、ニュージャージー州の倉庫から隣のデラウェア州、ペンシルバニア州に運ぶのに場所によっては軽く1時間は車でもかかります。運び込む時間そして組み立てる時間を足していったら一日14件に配達するなんてかなり大変。あっという間に荷物を運び込み、電動スクリューでねじを止めてすごい速さでベッドを作り上げていきました。時間に追われているのでしょうね。

経費削減できっと1人の人が配達しなくてはならない軒数がふえているのではないかしらと勝手に想像しています。でも家具の価格を低価格に抑えるためにはどこかでコストを減らしていかなければいけませんものね。そうすると1軒にかける時間が減るからあまり必要ではないような部品の組み立ては省いていくのも仕方がないのかも。(客側から言わせてもらえば仕方がないで済まされたくありません。)

しかし配達してきた人たちをあまり責める気にはなりません。それよりも上の方で時間、人材をマネージしている人たちに文句が言いたい。机の上で経費を削減すると実行するのはずっと下のほうの人たち。そしてその人たちはいくらでも代わりが見つかるからといってこき使うのはやめていかないと… (低価格で宣伝しているWalmartがこの方針です。働きたい人はいくらでもいるから、わざわざ働く環境をよくすることはしないそうです。)

そしてベッドの話しですが主人が店に文句の電話をかけたら、

「1年間の保証がついているから別にいいでしょう。」ですって。

保証がついているからってそんなに簡単にいって良いものなの? そのたびにいちいち新しいものと交換していたらそのほうがお店にとってはずっと損だと思うけれどな。どこかおかしい。ものを大切にしようと思わないのかしら? こういう文化が定着していきそうで怖いです。本末転倒というのかな。

そういえば家具を配達してきた人たち。ベッドを作っている間もずっとトラックのエンジンは回しっぱなし。とにかく今日はヒートウェイブの始まりで暑かったからエンジンを切ったら車の中が暑くなったのだろうけれど、ガソリンが高い高いと騒がれている中での無駄遣い。それに二酸化炭素がたくさん排出されていると思うと走っていってトラックのエンジンを切りたくなりました。

ちょっといい加減なサービス、態度、受け答えにうんざりして疲れている私です。
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ちょっと変なアメリカ人
小泉首相があれほどプレスリーが好きだとは知らずに、サングラスをかけたプレスリーの真似をする姿には驚きましたが、それをちゃんと(?)報道しているアメリカのメディアにも驚きました。というのは、日本の首相が訪米していてもそれがニュースとして流れることはよっぽどのトピックについて話し合われている以外ほとんどありません。それなのに政治とはまったく関係ないのに、首相がここで「King」と呼ばれるプレスリーの真似をすることにこれほど話題性があるとは… この反応はとてもおもしろい。

知り合いの人のお嬢さんが日本に旅行に行くためにデラウェアにある銀行で日本円にお金を交換に行ったのですが、銀行で交換を拒否されたそうです。そこで理由を尋ねたら、

「日本円は変動制だからできないのよ」という返事。

「え?」と自分の耳を疑った私。英語を間違えて聞いたかと思った私でした。しかしそうではなく、銀行の女性は確かにこう通りにいったそうです。ユーロだって中国のRMBだってみんな変動制なのになぜこんな訳のわからない答えをしたのか… やったことがなくて適当に答えたのかしら? でも銀行に一応お勤めしているのならそれくらいの知識があってもよさそうですよね。うーん、驚くべき、この返事。

ESPNというスポーツチャンネルがアメリカにあることはご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう。そのコマーシャル。ESPNのキャスターとシェフチェンコの会話。短くするために少し言葉は変えて書きます。

キャスター「君の国ではアメリカのサッカーを何と呼ぶ?」
シェフチェンコ 「フットボール」
キャスター 「それではアメリカのフットボールは?」
シェフチェンコ 「フットボール」 中略
キャスター 「それなら、アメリカのサッカーをフットボールと呼んで、アメリカのフットボールをサッカーと君の国で呼ぶようにすれば、アメリカと意味が逆になるだけで二つのスポーツに名前がつくだろう。」
シェフチェンコ 「提案してみるよ」
キャスター 「それがいいよ」

なぜこれが面白いと思ったことには理由があります。いくつかありますが、まずオーストラリアンオープンでスイスのロジャー・フェデラー(Roger Federer)が優勝したときのアメリカ人アナウンサーによるインタビューがありました。

アナウンサー 「優勝おめでとう。(中略)スーパーボールを見たかい?(スーパーボールはアメリカンフットボールの全米一を決める試合)」
ロジャー・フェデラー 「いや、見ていない。」
アナウンサー 「みていないって? とてもおもしろい試合なのに?」
フェデラー 「見ていないし、知らない」
アナウンサー 「それは驚きだ。」

アメリカ人が夢中になっているスーパーボールを他の国の人も見ているに違いないと思っているアメリカ人のアナウンサー。

私がアメリカに来て間もない頃の話。ピザの配達を頼む方法を友人に尋ねながらの会話。

「初めてピザを頼むときには緊張するわ。」と私。
「簡単なことよ。大丈夫。心配しなくてもできるから」と友人。
「でも、あなたが他の国に行ってそこでピザを頼むとしたら緊張しない?」と私
「よその国でピザなんか絶対に頼まないわよ。できるわけないじゃない」と友人… 

おーい、私には簡単なことといっておきながら、立場を置き換えたら絶対にやらないという彼女。自分が相手の立場だったらという考えを彼女は持たなかったらしい… 非常に複雑な気持ちになりました。

もちろん、こういう人たちばかりではないのですよ。ただ世界一の大国を自称し、各国の政治のいろいろな問題に口をさしはさむアメリカなのに、世界のことをあまりに知らない人が多く、自分が一番と「お山の大将的な発想」の人たちが目に付いてしまうのです。そしてそういう人たちをつい見物している私です。
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孤独なアメリカ人
自分について考えてみてください。何か深刻な悩み事があるとき、自分が大切な岐路に立っているときなど、誰にそれを打ち明けますか? そして打ち明けられる人が何人いますか? 日常の悩みではありませんよ。一番(?)深刻な悩み事。

アメリカ人に対して行われた調査で1985年と2004年の結果を比較して次のような違いが見られました。

大切な相談事を話し合える人が一人もいないと答えた人の人数が3倍になりました。24.6%の人が(4人に1人)家族にも友人にも誰にも悩みを打ち明けられずにいるといいます。そして19.6%の人がそういう相手が1人いると答えました。そして、打ち明けられる人がいると答えた人の中でも54.3%の人が家族以外にそういう人はいないと答えています。

相談できる人の人数の平均も1985年の2.94人から2004年には2.08人に減りました。約1人弱減ったことになります。

相談できる相手が属するグループを調べてみると、減少が著しかったのがご近所、そして自分から参加していくコミュニティー(家族、仕事仲間のように普段から自分のまわりにいる人たちではない人のグループ)であることがわかりました。

1985年には、男性に比べて女性は家族以外に相談する人数が少なかったのに比べ、2004年にはその数がほとんど同じでした。女性にとって相談できる人が増えたのではなく、男性が相談できる人数が減少したためです。

自分の知り合いの顔を浮かべてみて、その中で4人に1人は悩みがあっても相談する相手がいなく、2人に1人はたとえ相談できる人がいたとしても1人しかいないという事実、どう感じられますか? 悩みを1人で抱えていかなくてはならないつらさは誰も経験したくないと思うのですが…

もっとも、質問で使われた言葉への人々の受け取り方の変化も考えなくてはならないので、この数字をそのまま受け止めてしまって良いかということもあります。

それではなぜこのようにアメリカ人が孤独になってきたのかということですが、理由としておそらく考えられるであろうことはインターネット、電話のコストの低下だそうです。しかしこれもまだ推定の域を超えていないとか。軽い気持ちで遠くの知り合い、友人にメール、チャットはできても、すぐ近くにその人がいない場合も少なくなく、親近感には今ひとつ欠けてしまうのがサイバーコミュニケーションとでもいえるのではないでしょうか。

ちょっといやなことがあったときにはメールで鬱憤を晴らすことで気持ちも少しはスッキリするでしょうが、心がどん底に落ち込むようなことがあるときにはやはり人間、友人に会って、抱きしめてもらってその苦しみを減らしていけるのだと思います。また、軽いコミュニケーションだと、自分のいいたいことを相手がどれだけ受け入れられる人間なのかがわかりきれないかもしれません。また、表現の方法が同じとも限りません。そしてそれを知るにはやはり面と向かって言葉を交わすことが必要だと思います。

また、こういう軽い関係に慣れてしまうと親の心配、忠告が厄介なものとして耳に響きそうです。伝え方が上手ではないのかもしれないけれど、親は子供にとっておそらくこれがベストであろうということを常に考えているわけですから、そのへんを受け取れない人になってしまうのは悲しいことです。もし親の言葉が悪かったら、それを親に伝えなければ関係は悪化するだけ。

怒られるかも、いやな顔をされるかも、という心配があっても家族は軽蔑したり、人格を疑うことはしないと私は信じています。それよりも大切に思う心のほうがずっと大きく、その人を心から愛して心配する気持ちには変わりないはずですもの。それなのに家族にも自分の暗い部分を見せられないのはあまりにも寂しい。

時間に終われストレスがたまる生活を送っている現代人、仕事でなくてはならないオンラインではありますが、プライベートの時間にはパソコン、携帯、ブラックベリーに触れる時間を減らすような努力をして見るのもよいのかもしれませんね。家族、友人の新しい面が見られて新鮮な想いをできるかも。

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